吐き出し箱

一瞬で気持ちが変わり続けるからその都度出す。

学び

2020年。


お正月ってとっても学びだと思う。

年末年始から少しずつたまる

フラストレーション。

何も考えていないようで、

やっぱりいろんなことを思っていて、

結局は、

「やりたいかやりたくないか。」

それだけなのに、

「やらなきゃいけない、こうすべき。」

にとらわれる。


家族の中での役割とか

親戚が集まる中での立場とか

身体に染み込んでしまってて

時々とっても辛くなって

逃げ出したくなってしまう。


前に一度、

お墓参りに行く日。


身体がどうしても辛くて

お腹壊してるし、

呼吸も辛くなってしまった。

で、ここは身体を優先してあげようと

勇気を振り絞って

「今日は行けない」

と言ったことがあって。


なんとなく、

娘がここまでしんどいって言ったら

許してくれると思ってた。

(許してもらうってゆう概念がもう変なんだけど)


でも返答は違ってて、

「それでも行ってほしい」

って言われて、

「なんで?」

となったけど、

「なんでも」

と言われてしまったらもうなんか

このやりとりをする

自分も責め、相手も責め、

何もかも諦め、

身体を大事にも出来ない自分にも腹を立て、

周りにも腹をを立て、

いっそのこと、倒れでもしたら、

周りに「ごめん」って

言ってもらえるのではないか?

ぐらいに思ってしまった。


こうゆう、ひとつひとつの出来事が

色々積み重なってて、

身体に染み込まされてる。


私は長女だから。

兄弟もいとこもみんな働いてて

忙しくしてるから

私が動かなきゃいけない。

車があるから、

足にならなくちゃいけない。

時間があるのに、

断っちゃいけない。

道徳的な問題。


おばあちゃんが心配じゃないの?

母が心配じゃないの?

あなたがいないと買い物行けないの

あなたがいないと病院に行けないの

近くにいるんだから様子みてて。

心配だからおばあちゃんのもとに

いってあげたいけど、

遠いし、家族いるからいけないから

代わりにいってあげて。


こうゆうのがとっても辛い。


まだまだ自分の中にたくさんいる。


地味にじわりじわりと

精神的に追い詰めてくる。


疲弊している。


私だって心配だし、

やれることはやりたいとは思う。

でも強制されるのが

義務になるのが

本当に嫌だ。


必要とされるのは

嬉しい時もあるけど、

大体嫌だ。

「あなたがいないと…」

は、恐怖だ。

私がいないとどうにもならないなら

私はいなくなりたい。



新年早々って感じ?(笑)


いや〜

ほんと新年とかそうゆうの関係なく

私には私に必要な時に

学びがくるんだろうな〜


いつも感じてる

なんとなく嫌な感じ。

それが年末年始は顕著に現れる。

わかりやすく。


で、どうする?

あなたはどうすんの?

やるの?やらないの?


みたいな。


やりたくねーよ。


お寿司食べにいく。

それだけだ。

あ、あと

いとこにゲームさしてもらお。

LINEしとこ。



私は今年、

長女だとか、

時間があるからとか、

近くに住んでるからとか、

そうゆうのやめたい。


少しずつでいいから

自分を大事にしてあげたい。



もう締めようと思ってたけど

ひとつだけ言いたい!(笑)



昨日、

何故かまた自分で自分を

苦しめようとしてた。


「洗い物は出来るから

いつでもやるからね!」

と謎の宣言。

その瞬間、洗い物が私の義務になり、

心を蝕んで一人で勝手に苛々(笑)


年末年始、お金を使うことが多く、

予定の何倍もの速度で

お金が出ていくことに

苛々と恐怖が募り募る。

「もっと心の余裕もてるくらい、

頑張るわな!」

と謎の宣言。

は?なんで?

今でも十分。

生活に必要なもの買えてるし、

自分の心の余裕だけでいいのに

他の人の心の余裕まで

私が担わなきゃいけない必要なくない?

自分で意味のわからないこと言って

勝手に苦しんで、苛々して、

爆発。

…する前に

声に出して訂正した。(笑)


「洗い物もやりたい時だけやります。」

「お金も自分のお小遣いだけ自分で稼ぎます。」


はぁ。

めんどくさいけど、

これからもご迷惑おかけしますけども、

私は私と向き合うために

こうやってひとつずつ、

軌道修正していきます。


今年はあっという間だろうなー。

今年も私は私と仲良くなる!!!

はい!おわり!